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第八章 ル・コルビュジェ−理想形態を求めて
「建築は光の中に寄せ集められたボリュームの巧みで、正確で、壮麗な遊技である。」(ル・コルビュジェ、1923年) 1920年代:建築史上稀な時期のひとつ。 この時代は、それ以前の様式を打ち破り、個々の創造行為に共通する新しい基盤を与えたと思われる新しい形態を創出。 メ 「インターナショナル・スタイル」 ・宙に浮いたボリューム ・相互貫入する面 メ コンクリート、スチール、ガラスという機械時代の材料による効果。 (しかしそれは、建築技術の革命という以上のものであった) ヲ形態の歴史における主たる変遷の多くと同様、近代運動は新しい理念に具体的な形を与えた(形態の背後にある夢を徹底して探ることによってのみ、その意味は理解されうる)。 メ 論争的な態度とユートピア的な感情を表現 ル・コルビュジェ 1877年、スイスで生まれる。 若きジャンヌレは非常に内省的であった。彼は自身が類い稀な運命をもっているに違いないと感じてはいたが、半信半疑の時期と自信過剰の時期とを繰り返していた。 ニーチェを読み、「より高い秩序に共鳴している者としての芸術家こそが、下界を救済する形態を生み出す」というメシア的な考え方に熱中。 彼は行動から学ぶのを好み、その並外れた独学は多読、広範囲の旅行、様々な建築事務所での経験を包含していた。 歴史が「正当な」評価を与える場所に姿を表すという、大変な才能を持ち、ペヴスナーのいう近代建築の「先駆者」のうちの二人オーギュスト・ペレとペーター・ベーレンスの事務所で、首尾よく24歳までに働くことができた。 1914年までに彼はマックス・デュボワの助けを得て、ドムィノ・システムを案出。ドムィノの骨組みは、建築にとってと同様に、彼の都市計画にとっても中心的な手法となった。 彼には早くから、建物の構成と根本的な原理とを理解するために、あらゆる時代の建物を見てスケッチする習慣があった。特に、アテネのアクロポリスは彼に大きな影響を与えた。根源的な思想の強さに、彫刻的な力に、形態の正確さに、敷地と遠く離れた山や海との関係に、彼は感銘を受けたのだった。彼が決して忘れることのなかった、巨石を積み上げた基壇上に並ぶ静粛な列柱にもなにかがあった。パルテノンは、彼を悩ませ続けた捉え難い絶対的なものを垣間見せたのだった。 彼の伝統に対する姿勢は浅薄な模倣者の態度とはかけ離れていた。際立った特徴を拾い上げるため、また記憶の中にイメージを定着させるため、彼は簡潔で鋭いスケッチを描いている。構成原理を明らかにし、配置との関連および連続における、感覚的で力動的な空間経験を平面形に結び付けようと、彼は過去の建築の解剖にまで突き進もうとした。 「建築家は形態を配列することによって、彼の純粋な創造である秩序を実現するのである。形態によって彼は私達の感覚に強く訴え、造形的感動を刺激する。創造したものの相感によって、深い共鳴を私達の中に呼び覚ます」 「建築とは光の中に寄せ集められたボリュームの巧みで、正確で、壮麗な遊技である。私達の目は、光の中でものを見るようにつくられている。光と影が形をあらわにする。立方体、円錐、球、円柱または三角錐などは初源的な形で、光をはっきりと浮かび上がらせる。その像は明確でつかみやすく曖昧さがない。このために美しい形であり、最も美しい形なのである。誰もがこのことには一致している。子供でも野蛮人でも哲学者でも。それが芸術の本質そのものである。」 ヲコルビュジェは、ピラミッド、パルテノン、ローマの浴場、パンテオン、ポン・デュ・ガール、ミケランジェロ、マンサールのなかに根本となる諸源的形態のしるしを認める一方、近代の建築は存続する価値というものを欠落し、貧相になっていると感じていた。 メ 自分の望むような調和が、ある工学的なもの、穀物サイロ、工場、船、飛行機、自動車などの中に存在すると感じていた。 メ 機械芸術と古典主義の同一化 「それではパルテノンと自動車を見せて、このふたつが異なる分野の淘汰の産物であることをはっきりさせよう。ひとつは頂点に達したもの、もうひとつは発達中のものとして。これは自動車を豊かなものにする。そこでだ。そこで、我々の家や偉大な建物への挑戦として、自動車を用いる方法が残されている。ここで我々は行き詰まってしまう。」 メ それでは、かつての古典主義のシステムにおける標準的要素に匹敵する近代のものとはなんであろうか。 メ コルビュジェは、自動車を住宅への挑戦として用いて、これを明確に導き出した。その結果であるところの原形(プロトタイプ)すなわち、シトロアン(シトロエンの語呂合わせ)住宅がそれである。彼は明らかに、フォードが車に用いたような大量生産の家庭を戦後の住宅難解消に応用しようと専心していたのだ。 ・シトロアン住宅 |
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