W.カーティス著、沢村明他訳
「近代建築の系譜−1900年以降 上巻」、鹿島出版会、1990年
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第三章
第三章 合理主義、技術の伝統、鉄筋コンクリート

生きた建築とは、その時代の忠実な表現である。我々はそれを構築の全領域に求めるだろう。我々が選ぶ仕事とは、それらの用途に厳しく服従し、素材の賢明な使用によって作り上げられ、必須の要素がつくり出す性質と調和したプロポーションとによって美に至るものである。」(A・ぺレ、1923年)

19cの工学は、建物の視覚的な軽やかさ、明るさ、透過性といった新しい効果をもたらした。
But
鋳鉄製の建物、そして後の鋼鉄による実用的構築物郡が新しい建築を形成したと言えるのだろうか?
工学技術の構造的な勲功に対し、そしてときにはフォルムの洗練に対しても、賞賛する眼力のあった人々でさえ、形態における幾分かの詩的な性格というのは失われるかも知れないと悟っていた。

合理主義者も技師たちも、それぞれ異なった道筋ながらも復興主義という鎖から逃れられそうになった時には、真の表現様式という本質を欠いた、味気ない唯物論的機能主義という次の虎口に面していたのである。

ルイ・サリヴァン
鉄鋼によるカゴのような構造に基づいた高層オフィスビルに、機能に従った純正な形態を定義することを目指す。
ただし、サリヴァンは、
歴史ないし自然からの高度に抽象化された例示の仲立ちなしには、機能も構造も、適正な形態をそれぞれ独自だけでは生み出せない、と気づいていた。

歴史が消え去ることはない

では、新しい建築技術によって呈される固有の形態に最良のものとして用い得るのは、伝統から抽象化されるどの資質なのだろうか?(鉄筋コンクリート建築の初期開発者の多くの実験に内在していた疑念)
コンクリートそのものはローマ時代や初期キリスト教建築に使われていた。
→中世からルネサンスにはほとんど用いられず。
→19c後半になって、再びこの素材が探究されるようになったが、概して、安さとか、スパンが広くとれるとか、耐火性といった卑近な目的によるものであった
→1870年代、アーネスト・ランサム(米)と、フランソア・エンヌビク(仏)によって、強さを増すために鉄筋を挿入して補強することを発明。この原理に基づいた架構システムを作り出す。

木造軸組工法に似ている
*コンクリートは、諸々の素材のなかでも、最も自由度の高いひとつであり、また形態に対してもっとも決定要因と成り得ないひとつであった。その形態は設計者の造型感覚と片枠の形とによる。

コンクリートという素材自体は表現手法を生み出さなかった

この問題は、19c最後の数年に建築家たちがこの素材に基づく様式を発見しようとしたときになおさら明白に

アナト−ル・ド・ボド(仏)−サン・ジャン(聖ヨハネ)教会
・構造は合理的…細い支持体による軽さとスパンの広さ
   ヘ
・構造の視覚表現は優柔不断…中世や異国からの引用、ほんのりアール・ヌ−ヴォ−調のアクセント。
 *サン・ジャン教会は
形態の問題に対する解決を欠いている。

オーギュスト・ペレ−フランクリン通り二十五番地のアパートメント
・四角いコンクリート骨組みによる柱梁構造の潜在能力に基づく
・彼方にセーヌ川を見渡す広い視野を持つ敷地の眺望を最大限に生かすため、最大限窓を広げる
・コンクリート構造によって薄い間仕切り壁が使われ、空間を幾分節約(特にぺレがアトリエを移した一階では、細い支柱が自由な空間の中に現れ、 まるで、20年代の建築において非常に重要と成るピロティの予兆であるかのようである)
・彼の構造システムによって陸屋根が生み出されていたため、屋上テラスを作る

*このアパートメントを作り上げたのは、単なる構造ではなく、
現実的意図が明確に築き上げられた形態へと至る、その道筋であった。
プロポーション、細部、差異に対する注意深い関心の結果の、計算尽くの作品。
近代建築初期の父祖的作品のひとつ。
※厳密に言ってその力強さの一部は、新しい素材の可能性を、伝統に根差した言葉遣いで公言している、その権威的な手法によるものである。

1905年、ペレはポンテュ通り五十一番地のガレージで、コンクリートを完全に露出させたまま(ただし白ペンキで塗られている)にすることで、更なる一歩を踏み出す。

この時点で、コンクリートに「正しい」形態は四角である、とぺレが決めつけていたことは、疑う余地がない。

フランク・ロイド・ライト(米)
彼もまたコンクリートという新しい素材の可能性の虜となっていた(安さ、大スパンを作れること、彼の空間理念を容易に鋳出せること)
・コンクリートを裸のまま晒す表面が最良(材料の性質への「ア−ツ・アンド・クラフツ」的強調)
*彼もまた、ぺレと同様、コンクリートに株を上げさせ、この素材に「正当な」形態は四角く地肌のままで抽象的なのだという印象に更なる重みを与えた。

◎しかしながら、直線構成の四角い形態が、コンクリートに見合うひとつのものというわけでは決してなかった。
・ロベ−ル・マイヤ−(スイスの橋梁技術者)の橋は細く薄い曲線支持体の上に置かれるものが多かった。
・ウジェーヌ・フレシネー(仏)は放物線断面の飛行船係留庫を作っている。
・マックス・ベルクの百年祭記念ホール
 ア−チ構造による大スパン、表現主義的でダイナミックな傾向(ぺレと大違い)。

近代運動の四角い形態を、コンクリートと必然的に疑いようもなく結びついたもののように考える傾向が、短絡化し過ぎた見方であることを示す好例。
「美的な理由や象徴的な理由が多様であるさなか、薄い平面性の効果とか、オーバーハングする水平性の効果とかを追い求めていた世代は、その祖先をぺレとライトであると見なしていたのであり、一方で同じく息吹いて実行可能であった曲線の伝統の方は無視したのだった。」

直線構成美学への血脈

トニ−・ガルニエ(仏)−近代理想都市の設計…工業化社会への都市計画
住居、産業、交通、健康の区分ゾーニングという概念に基づく工業都市
住宅群は陸屋根で単純な四角い幾何学、コンクリートと工業規格化によって作られたもの。

ガルニエの都市は、近代市街の機能に確信あるイメージを与えた。また、鉄筋コンクリート構造と
規格化とに最も相応しいのは直線構成の四角い形態であるという考えに格別の重みを与え、明解な幾何学的反復という価値が、火急に迫った機械主義社会に「適正な」ものであるという示唆を与えた。

シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ(後のル・コルビュジェ)
1910年からベルリンのペーター・ベーレンスの下で働き、そこで、「新建築は近代社会の要求に応えるべく理想的に設計された累計や規範に基づかねばならず、
大量生産という手段とも調和するように」、という理念を吸収。

1914〜5年:先駆的なコンクリート住居システム「
ドムィノ

ドムィノシステム
戦争で荒廃したフランドル地方の急ピッチな復興を助けるよう考えられた、居住組み立て用の一式セット。
六ヶ所で支持する単純なコンクリートの骨組みと片持ちで突き出すスラブとを作るに必要な部材の基本セットを大量生産する。
 壁は戦争で破壊された建物の瓦礫で作る。
窓や調度品は地方の伝統にのっとって大量生産し、骨組みに挿入。

近代の住居とコミュニティとを作り出すよう整えられた単純で四角い大量生産可能な部品(建築と都市の新しい言語の要素を決めんとするコルビュジェの意図)。

・持ち送りや梁を使用せず。片持ち梁の原理を使ってスラブそのものを、支柱を越して更にたっぷりと延ばす。

このシステムの利点
@施行の速さ(実地にかけられることはなかった)
A壁の持つ、「構造」と「膜」、という機能を分離
「建物の重さは架構によって支えられるのだから、もはや外「壁」ないし他の覆うものは、その上にかかる荷重を考えなくても良いし、構造の邪魔なしにアレンジできるのだ。機能的必要や構成上の刺激が望むように穴をあけられる一種の皮膜のようなものに、効果的に変身したのである。伝統的な石積みの構造だったら構造的に一番堅固にするであろう隅角、そんな場所でもドムィノ住宅だったらガラスをこれ見よがしに持って来れるのだ。」
内部においても、間仕切りは欲しいところに置けば良く、構造の通り芯の内でも外でもかまわない。空間は節約される。機能の自由度が新しい次元で達成されたと言える。

美的な強調点は、塊から空間を切り出すことを離れ、最小限の支持による空間調整へと移った

※これらのことはドムィノを後になって振り返ってのことである。当時のドムィノ住宅は、視覚上は単純さにも拘らずずんぐりしたものであり、またその室内は構造骨組みの空間的可能性にも拘らず伝統的で限定的なものであった。

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