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第九章 ヴァルタ−・グロピウス、ドイツ表現主義、バウハウス
「新しい時代はそれ自身の表現を求めている。あらゆる偶然を避けて正確にかたどられた形態、明確な対照性、秩序づけられた部分、相似た部分の連続的は位置、形態と色彩の統一。」(W・グロピウス、1913年) 1918年:ドイツ軍の敗北と旧帝国体制の崩壊。 芸術家テクノクラートのよって導かれるべき、統一された国家的「文化」というムテージウスの夢は打ち砕かれた。ドイツでは経済の混乱に対する反動で革命が起こり、それと共に政治的には左右両極化。芸術においては夢想家達のグループが、急進的労働者の集団にならって宣言をつくり、政治革命が、文化革命をも引き起こすことを願っていた。 「今日の芸術家は、指針もなく壊滅的な時代に生きている。芸術家は孤立しているのだ。旧弊な体制は崩れさり、凍えかけていた世界は揺り起こされ、昔の人間精神は役に立たなくなり、新しい形態へと変化している。我々は空間に漂い、新しい秩序を知覚できないでいる。」(W・グロピウス、1919年) ‖ 内に潜む不安で染められたユートピア思想発展の基盤 (厳しい経済不況が実際の建設の可能性を縮小し、この雰囲気を増長) ブル−ノ・タウト 『アルプス建築』:細かいガラスの結晶から成る集合的建築の水彩画。人類同胞にとっての理想王国である「非政治的社会主義」の具現。 『都市の冠』:宇宙的世界山脈もしくは階段状のピラミッドという形をした象徴的中心を持つ都市計画における新しい共同体の宗教を具現化しようとする。 ‖ この「中心」は、疎外された近代人の中心喪失のためにつくられ、統合された社会において近代人を「もっと深遠な」意味に定着させるものと想定されていた。 ‖ 形態そのものが救済能力を持つべきだ、と信じる当時一般的であった傾向。 |
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←1919年「アルプス建築」 | |||||||||||||||||||||||||||
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バウハウス
芸術工芸学校(ヴァン・デ・ヴェルデ設立)と古い美術アカデミーの合併により成立。 「完璧な建物が視覚芸術の究極的目的である。建築家、画家、彫刻家はもう一度、複合体としての建物の本質を認識しなければならない。そのときはじめて、かれらの作品にはサロン芸術において失われてしまった、あの構築的感覚が充満するであろう。 グロピウスはこの建築における統合がどんな形をとるべきかを明らかにしてゆく。 グロピウスは大戦後、以前よりももっと神秘的な手法に向かい、平面計画においてはボザールの軸性という枠組みを拒否。代わってドゥースブルフやリートフェルトに由来する空間概念を選択。 |
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←V.グロピウス バウハウス校舎 デッサウ、1926年 |
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敷地は広々として開かれており、大規模であったため、全体の統一性を描くことなく、どの角度からも分かるような方法で主要なボリュームは分解された。グロピウスは分離した要素を異なる大きさの長方形のボリュームで表し、それらは回廊或いは小部屋の入った直方体で直接つながれている。次の段階の分節は窓面の構成によるもので、立体と平面、水平と垂直の強調をもたらしている。空間における三次元的緊張感をもつ高められた表現というバウハウスの実践は、さらになお実際性を考慮に入れなければならなかった。グロピウスは、空間の大きさ或いは小ささを強調し、機能に応じて様々な性質の光を導き入れるように、窓割りを変化させている。
ガラスはときにファサードと面一に納められて、皮膚に覆われた空間という全体の立体的特質を補強し、又ときにはガラスは奥まったところにはめられて、柱に浮いた白い床面を強調している。こうしたディテールの選択はすべて、デザインのもっと大きな動きと主題を明瞭にしている。 この建物で際立っているのは、形態についての思想の正確さ、グロピウスの初期理念と表現手法の融合である。戦前のファグス工場とドイツ工作連盟時代の経験、戦後の精神的理想主義とユートピア思想、抽象と機械を混合した表現の探究、これらすべてがここにありながら、ひとつの表明に統合されていた。その確実さには、展開して行く近代運動史のこの時期だと、シュレーダー邸あるいはクック邸のみが匹敵しうるものだった。 実際バウハウスという解答は、個人的な確信の表明以上のものだった。それは他の多くの建築家たちが採用し始めていた諸形態の成熟した体系における大きな一歩を記したのである。いうなれば、ゴシックやルネサンスの初期と同様に、原点が次第に統一的な新しい表現体系へと統合されて行ったのである。つまりバウハウスでインターナショナル・スタイルは成人に達したのである。ここには、その時代に共有された価値の中から、自分自身の表現様式をつくりあげようとしている者すべてにとっての教訓があった。その完成後すぐに、このような建物が世界のあちこちで発表されるようになった。その空中写真の中には、要素主義者の巨大な彫刻かと見まごうものもあった。 「表現主義」 |
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ミース・ファン・デル・ローエ
大戦終了から直線による抽象的なスタイルを持つ独創的な仕事が展開する1923年までの間に、「表現主義」的段階を通過した。 1921年:フリ−ドリヒ街摩天楼設計競技案−ガラスのスカイスクレーパー 骨組みを高く組み上げた建物を本質的構造にまで露にしてしまう試みとして、「合理主義的」用語によって解釈されがちだが、鋭い形、ロマンチックなシルエット、光の反射と透過性のある外壁との豊かな戯れは、オフィス・ビルどころかガラスの教会さえ思い起こさせる、ユートピア的情感を持っている(タウトのガラスのビジョンに通じている?)。 メ ミ−スはこのテーマを更に発展させ、平面をコアから放射線状にのびる曲面形に変え、このガラスと透過性の実験について以下のように述べている。 「ちょっと見ると、プランの曲がりくねった輪郭は、勝手な線のように見える。けれどもこの曲線は室内の十分な採光、街路から見た建物の組み合わせの効果、そして最後に反射の面白さ、という三つの条件から決定された。」 1922年に計画したコンクリートのオフィスビルでは、少し雰囲気や形が変化している。 空間を水平に置くことと浮遊する板のような表現を強調。建物全体は柱からの持ち送りに支えられた片持ちスラブで形成。平面は構造柱のグリッドから成り、その間に間仕切りが挿入されている。 マ古典的アプローチ (対称性、中心軸の強調、最上部の「浮かぶ」ようなコーニスの水平板) *このオフィスビルは、壮大なガラスの摩天楼よりは、その時代の技術で実現可能なものへ近づいている。 メ 1923年:「G(ゲー)」グループを創立(ベルリン) ・「形態至上主義」反対を宣言。 ・形態に関する理論的後ろ楯は、実用性と施工とに密接に関係。 「労働の、組織の、明解さの、経済の、建築である。 明るく広々とした作業空間、妨げられない明瞭な空間。 最小の手段による最大の効果。素材はコンクリート、鉄、ガラス。」 メ 明らかにこの夢想家は、地に足をつけたといえる 1923年:煉瓦造田園住宅 彼の根本と成る概念が最初に明らかにされたと思われる作品。 |
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←ミ−ス・ファン・デル・ロ−エ 煉瓦造田園住宅案1923年 透視図及び平面図 |
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平面は板が広げられたような壁から成り、その幾つかは周囲に伸びていっている。その間の空間は重なり合の原則によって、主軸に則ることなく規定されている。
彼の着想は、装飾を剥ぎ取った古典主義の持つ価値、ライトの風車のような平面形の特色、そしてモンドリアンやファン・ドゥースブルフの抽象絵画との融合のように見える。ここでもやはり、絵画における抽象が建築へ実り豊かに転換されている。 メ しかしこの場合、ボリュームは完全に大地に結び付けられている メ このような空間についての着想を三次元の建物として生き生きと表現する方法を、ミースが見い出すには更に数年がかかった。後の職歴を通じて、対照的で軸性を有し古典性を内に秘めた平面と、力動的回転と遠心的に広がる板に基づく平面配置との間を彼は絶えず揺れ動くことになる。 デッサウに移ったグロピウスは、建築における規格化という課題へいよいよ注意を向けるようになった。バウハウスに集合住宅研究が設けられ、それは、合理化された集合住宅のブロックは位置、空間、採光、換気、眺望への解放で最高点に達した。 ・コルビュジェは二つの計画を設計 ・シャロウンの設計は、湾曲した形のバルコニー、そして完全に異なる空間の性質とを持ち、近代運動における個性的で多様な解決策を思い起こさせる。 |
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