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第二章 新しい形態の探究、装飾という問題
「…今や、建築についての主たる見解の根拠は全て、われわれの芸術創造に唯一可能な出発点はまさに近代的生活であるという認識に、取って変わられなければならない。」(O・ヴァ−グナ−、1895年) 「アール・ヌーヴォー」 1870〜80年代に広く使われていた堕落したボザール流古典主義に対する強い反動を体現。理論面でも様式面でも権威からの独立解放へ向かう、近代建築における大きな一歩であった。 ヴィクトル・オルタ ・1890年代のブリュッセルで、オルタは彼の様式を裕福な顧客のための都市宅デザインへと展開。 特徴:広々とした階段吹き抜け、ダイニングルームから冬庭まで貫く屋内の長い視軸、色ガラス、絹製品、金、青銅、地肌を見せる金属、デカダンス風の植物的形態など ・「人民の家」(1896〜8年):ベルギー社会党本部 「…私が即座に気づいたように、これは興味深い注文であった。宮殿を建てるのに、それは宮殿ではなく、「家」でなければならず、その贅沢品といえば光と空気であり、これらは労働者階級のスラムにあっては、あまりに長いこと失われていたのだ…」(V.Orta) 最上階のオーディトリアムではその屋根が鉄による片持ち構造で支えられ、壁面と窓割とは、薄いスクリーンにまで単純化され、全体としての効果は有機的統一であり、その中で装飾と実際の構造の視覚的強調とが緊密な協調を見せている。 「すべてのものが構造としての建築という観点から考え抜かれ、犠牲というものをなんとか少なくしようとしている」(V.Orta) アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ ・装飾品と装飾を区別 装飾品:くっつけられるもの 装飾:形態の機能的アイデンティティないし内側の構造力を飾り気なく表すもの ヴァン・デ・ヴァルデ自身による主張 「よく知られた芸術や工芸のごく初期段階に使われていたものと同じである。船や兵器、自動車や手押し車がどんなに単純で、首尾一貫したもので、美しいのかを理解しているからこそ、私の作品は残り少ない合理主義者達を喜ばせることができるのだ。物品の機能的論理に敢然と無条件に従うよう、及び使用材料に全面的に正直であるよう考えられている」 アール・ヌーヴォーは様々な分野に急速に浸透 世紀の変わり目には、国際的な性格を身に付け、折衷主義の果てしないごたまぜを超えた道と認められ、適当にエキゾチックで、いささか逃避的、いささか進歩的、世紀末な精神態度と認められた。 伊人評論家シルヴィウス・パオレッティ、トリノの展覧会について 「無慈悲な権威主義や、いかめしい帝王の威厳、煩わしく無装飾なディスプレイに代わって、我々はデリケートで暖かみある洗練、思想の新鮮な自由、新しくて余韻ある感動への鋭敏な熱狂を手にした。すべての人間活動は、より複雑で、素早く、激しい。そして新しい快楽、新しい地平線、新しい高みをつかむ。そして、芸術には新しい大志と、新しい声があり、まったく新しい光とともに輝く。」 エクトル・ギマールのパリ地下鉄出入り口のデザイン 自然からヒントを得たフォルムにアーチと装飾とが形成され、使用されている鋳鉄は鋳型から大量生産されている。 *アール・ヌーヴォーは、建築という装いの変化を遥かに超えるものであり、また装飾の新システムなどといった次元のものでもなかった。 オルタ、ギマール、ヴァン・デ・ヴェルデの代表作において、建築のごく構成的な内容もごく空間的な性質も、基本から変容されている。それらの形態は通常、機能という原則によって堅く縛り付けられており、また構造と素材との合理主義に即した表現傾向にもきつく束縛されていた。そしてそれ以上に、どの芸術家もそれぞれの方法で、社会理念を具現し、己が建築の名声を高めようとしていた。 アントニ−・ガウディーも同様 ガウディーの芸術の豊穣ぶりは幻想的なものと現実的なもの、また主観的なものと科学的なもの、精神的なものと物質的なものとの調和にある。彼の形態は決して単なる思いつきのものではなく、構造的原理に根差し、社会的意味と象徴的意味の錯綜した世界に根差していた。 サグラダ・ファミリアも、コロニア・グエル教会の地下祭室も、構造力を最大限に生かすことによって、様々な放物線による形態へ結びついている。 ↓ 表面的検分から思い込んでしまうよりも、遥かに「合理主義者」である but 彼はとても敬虔で、建築の物理的質は精神的秩序を外に表すものでなければならない、と信じていた。神の心の直接反映であると信じていた自然構造の中に、この秩序が存在すると直感的に認識していた。そして構造の「法則」は、単なる材料力学法則ではなく、造物主の存在証明なのだ。徳に放物線形態は、その美しい構造と共に、聖礼への紋章となった。→巧緻な象徴主義 ↓ 一方で鉱物学的極微へ、もう一方では自然の力という雄大さへと展開 チャールズ・レニー・マッキントッシュ ガウディーと並び、アール・ヌーヴォーと連動した独自性を持つ様式をつくり出した。 アール・ヌ−ヴォーを超え、ダイナミックな空間の連係と単純なマッスの広々とした配置とに重きをおいた表現という、もっと落ち着いた形態を目指す道を急いだ彼の展開は注目に値する。 代表作:グラスゴ−美術学校:「この構築の豊かさが引き起こされるのは、その異なった大きさの部屋の連続と並置、また様々な光の奏でる調べ、断面における巧妙な空間の重なり、そして階段、廊下、展示室といった動線が、あたかも空間の連続ボリュームとして立体感ある設計になっていることによる」 ↓ ウィーンのゼツェッションのグループに影響を及ぼす J・M・オルブリッヒ、オットー・ヴァ−グナーは、勿体ぶった古典アカデミーやアール.ヌ−ヴォ−の「新デカダンス」を嫌っていた。 ↓ 直線構成のプロポーションへ戻ること、建築学的価値の基本への回帰 ・ヴァ−グナ−『近代建築』、1895年 建築それ自体が「近代生活」を目指す必要性、簡素さと「厳格な普遍性」。 新しい様式は「現実主義的」なものであるべき。建築手法を直接表現し、近代の技術や素材を賞賛しているように見えるように。 ・ヴァ−グナーの代表作、ウィーン郵便貯金局 ボルトとナットの合理性、厳めしく安定した秩序が、うねる蔦と曲がりくねった心象とに取って代わっている。 ‖ アール・ヌーヴォーへの反動 アーツ・アンド・クラフツの簡素廉直という理想、直対称性やプロポーションの明解さといった「本質的」古典価値に対する感情、建築家たるもの建築的諸問題への率直かつ公然たる解法を通して、近代世界の価値観へ表現を与えるべく頑張らねばならないし、その解法においては、機能と構造との訓練を増やさねばならず、付加的な装飾を減らさねばならない、という感情。 同じくウィーンの建築家、アウグスト・エンデル 音楽のリズムに似た手法によって、精神を動かし得るような純粋形態による「非歴史的」様式について 「人々の教えてくれるところでは、新しい形態などありえず、すべての可能性は過去の様式の中で使い切られており、芸術というのはどれも、古い形態を個人的に修正することにある、という。そしてさらに、過去何十年かの哀れをもよおす折衷主義を新しい様式として売り出し続けるのだ。 判ってみればこの悲観論は単なるお笑い種である。というのも、はっきり目に映っているのが、我々が新しい様式的局面の始まりに立っているということ、それだけでなく、同時に全く新しい「芸術」の入り口にいるのでもある、ということだからだ。その「芸術」の持つかたちは、何かを意味するのでも、何かを思い出せるのでもなく、我々の魂を深く、強く揺り動かす。音楽が常に行い得たように。これが精神に対する形態の力である。直接の素早い影響、仲立ちするものいっさいなく、直接的感情移入なのだ。」 *ヨ−ゼフ・ホフマン、アドルフ・ロ−ス(ウィーン建築界を代表する二大人物)は、真の近代様式へと前進する道は形態の簡素化を促進することにあると提言。 メ 時代に応じた本当の様式を発見するのは、装飾が捨て去られ、中枢根本にある資質や形態、プロポーション、明解さ、節度といったものが、飾られずに現れるのを許された時であろうと思われ、実際、もう少し後になると、近代という時代にとっての「普遍的様式」と考えられるものを探す上で、この導きに従う用意が出来るのである。 |
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