ノーバード・ショウナワー、三村浩史監訳
「世界のすまい6000年 1先都市時代の住居」、彰国社、1985年
季節ごとの住居(Seasonal Dwellings)
半遊牧民の住居は、季節に応じて数カ月の間居住される

半遊牧民は、季節ごとに移住して狩猟や牧畜を行う以外にある種の耕作を行う。彼らの社会は部族の共同体組織であり、強い社会の絆で結ばれた多数の一族から成る。彼らの社会は、進化の過程における過渡期の様相を示しているので、半定住の社会とみなすことも可能である。ときどき戻る固定した居住地をもつ部族が多くなってからは特にそうである。遊牧民と半遊牧民の住居形態には共通した特徴があり、どちらも1年のうちの移住期間中は一時的な住居に住む。なかでも、半遊牧民の夏の住まいは、遊牧民の住居に類似する。耕作した作物や家畜を主に食料にするようになると、狩猟や食料採集を行う遊牧民と比較して、より限られた地域で生活するようになる生きていくために土地に依存し、耕作作物や家畜を直接的に支配することを通じて、これまでの社会では形成されなかった「財産」という概念が発達してくる。しかし、当時の土地所有権の概念は、工業化社会で一般に行われているそれと比較すると、まだ共有に近いものである。半定住の人々の財産がどの程度共同体に属し、どの程度が家族のものとなるかは共同で労働を行う程度による。そしてどの程度まで共同での労働が必要かは生産力に反比例し、農業や牧畜の生産力が高くなるほど、必要とする人数は少なくなる。集団所有から家族所有に変わるためには、おのおのの家族が自らの労働で必要な食糧を生産できるようになることが前提となる

半遊牧、つまり半定住の社会では、環境要素や生産力の水準が多様であるので、非常にバラエティに富んだ建物タイプが見られるが、これらの住居は共通点ももっており、その第一は、定住生活の間のしっかりした建物と移住生活の間の一時的な建物という2種類の住居タイプを利用することが多い点である。しっかりした住居の規模や複雑さは、家族の構成に応じて変化する。こうした住居の多くは村落のように集まって建てられる。一方、移住の間に使われる小屋は散在し、小さな社会単位に適応するよう考えられている。
耕作が経済活動の一部となっている場合は、半遊牧民は、住居の近くに穀物を貯蔵する倉庫を持たねばならない。社会的な結合が非常に強い時には、共同の倉庫を持つこともめずしくない。

予想されるように、季節住居の一般的な形態は、周りの気候と共に変化する。冬には猛烈に寒く激しい風が吹き、夏には長くて暑い日中と短くて涼しい夜があるステップ気候では、しっかりした冬の住居は熱容量の大きい壁や屋根を必要とし、一時的な夏の住まいは、熱容量の小さい壁や屋根を必要とする。冬は寒さや風から最大限守ってくれる、土で覆われた半地下の住居が多く、夏の住まいは単なる日除けや風除けが多い。
亜熱帯のサバンナ気候では、季節の変化はほとんどない。一年中日中は暑くて夜は涼しく、湿度は低く雨はほとんど降らない。そこで必要とされる住居は、熱容量の大きい壁と屋根を持つものである。建物の熱容量の大きさのため、日中に蓄えられた熱が夜間に解き放たれ、逆に夜間に冷えた壁は少なくとも昼のある時間帯には住居の内部を涼しくするのである。


ナバホ・インディアンのホーガンとラマダ

ナバホ族は、北アメリカ南西部の、高い大地、大砂原、深い峡谷、岩山などで特徴づけられる乾燥地帯に住んでいる。かなりの降雨があるのに乾燥しているのは、雨がどしゃぶりのため、土地を侵食するだけで肥沃にしないからである。夏の間、ナバホ族は比較的農耕に適した高地に移動して作物をつくるが、秋・冬・春には、家畜とともに低地に住む。ナバホ族の基本的社会単位は拡大家族であり、この集団は、主として両親と結婚した娘およびその家族によって構成される。

ナバホ族の伝統的でしっかりした住居であるホーガンは、背が低い一室住居で、東(すべての善なる神が来るとされる方向)向きに入口があり、泥で覆われた丸太小屋である。
一般に円形プラン、直立柱4本が、丸太の屋根と斜めの壁を支え、全体は土で覆われている。窓はなく、炉の煙は屋根の穴から出て行く。東向きのドアは人間が這って入るのにちょうど良い高さにつくられる。ドアにはしばしば毛布が使われる。
ホーガンを建てるには、まず60cmの深さに丸い穴を掘る。次にその穴の縁に近いところに、先が二また状になった柱を約3mの間隔で立てる。2本の長い棒が平行にこの柱の上に置かれ、2本の間に渡される軽い棒や枝を支える梁となる。壁をつくるため、丸い穴の周囲に沿って枝を地面に突き立て、屋根の端に届くように曲げられる。最後に、潅木でつくられた骨組全体が、雨の降った後にかき集められた湿った砂漠の土で覆われる。土は乾燥して非常に硬くなり、壁や屋根はプラスターを塗ったのとほとんど同じになる。厚い土の被覆層が熱を吸収したり放出することで、昼夜の極端な温度差が平均され、非常に住み心地がよい。
夏の住居であるラマダは、先が二またになった4ないし6本の柱が、木や芝でつくった平屋根を支えるという開放的な構造である。側面には、木や芝でつくった壁を、風の来る方向か建てることがまれにある。ラマダは、またラテン・アメリカの多くの地域でも使われている。

ヌエルの住居群

スーダンのナイル川流域に住むヌエル族は、柵で囲まれた住居群(クラール)に居住するが、これも季節ごとの住居に分類される。ヌエル族はもともと遊牧民である。土を耕すことは二次的で、一段低い活動と考えられている。一方、家畜を飼うことは大きな誇りである。牛乳が主食だが、乾季の間の牛の乳が出ない時には、首の静脈を少し切って血を採る。血はどろどろになるまで煮るか、固まらせた後それを焼いて食べる。牛は傷付いたり年老いた時にだけ屠殺され食べられる。

雨期の間、ヌエル族は数百人で村落のような居住地をつくり、高原地帯に住む。そこで彼らは牛を飼い、狭い土地を耕作する。雨期の終わりに地面が乾燥してくると、次の季節の新しい牧草が生えるように草に火を放ち、次の6か月間は川のほとりで野営を行う。家畜にやる牧草を確保するため、乾季の間は頻繁に移住しなければならない。
ヌエル族の住居群は、編み枝に土を塗ってつくった円形の土の小屋と牛小屋からなる丈夫なものである。各クラ−ルには一つの夫婦家族か、家長とその息子たちの家族からなる拡大家族が住んでいる。一つの円形小屋に住むのは妻とその子供で、時には夫が住むこともある。一夫多妻性の家族の場合には、数個の円形小屋と牛小屋とでクラールが構成される。

マサイのボーマ

ケニアやタンザイニアの平原に暮らすマサイ族は、季節とともに牛の群れを率い、雨と牧草地を求めて周期的に移動する。牛の飼育技術に優れ、アフリカの遊牧民族の中で最も豊かに生活している。少年は6才から牛の操り方を習いはじめ、10〜12才には家族の牛の世話をするようになる。彼らは若くして群れを率い、野獣から牛を守るモランと呼ばれる戦士となる。モランは他の仕事をすることも、喫煙も飲酒も、野菜を食べることも禁じられており、ミルクと血だけで暮らさねばならない。牛は頸動脈から月に雄牛なら約1ガロン、雌牛ならその1/8ほどの血を抜かれる。マサイ族は、飼育している牛及び羊かヤギの肉しか食べないので、野生動物を狩ることはない。

マサイ族はボーマと呼ばれる、とげのある木で造った高いフェンスに囲まれた円形の集落に住んでいる。フェンスの内側には幾つかの小屋が並んでいる。ボーマの入口の門の右側に一番目の妻の小屋、左側に二番目の妻の小屋、一番目の妻のさらに右側に三番目の妻の小屋、といった具合である。
小屋は女によって建てられ、そこへ誰を入れるかは彼女一人が決める。背の低い長方形の小屋の建設には一週間かかる。柱は通常短く、1.5mを超えることは滅多にない。内部では所々に柱が建てられ、薄い組格子の屋根を支え、小屋を用途別に分割している
衝立てや間仕切りを支えている。建物を仕上げるために、小枝や葉、草で柱と屋根の間の組格子がおりあげられ、外側から雄牛の糞や泥を混ぜたものを塗りつける。
小屋の高さはたいへん低く、中ではまっすぐには立てない。外光は狭い開いたままの入口から入るだけで、内部は二つの空間に分かれている。小屋へ入ろうとすると、通常、プライバシーを守る壁家畜の仔のための囲いにぶつかる。囲いは全体の1/3の面積を占める。その囲いの向うには中心に炉をもつ居間がある。炉のそばには二つの寝床があり、一つは年長の子供用、もう一つは母親用である。子供用のものは昼間でも椅子に使われるが、母親用のものはプライベートなものと考えられており、昼間は衝立てが置かれ使われない。
夜間は、牛を野獣から守るため村落の中央へ連れてくる。乾季が来ると、マサイ族は新しい水辺とよりよい牧草地を求めて移動し、住居は捨てられる。ボーマの中で死者が出たときも同じである。マサイ族は新しい土地へ移動するため荷をロバの背に積み、立ち去る前に家に火を放つのである。

バラバイグのゲイド

タンザニアのバラバイグ族も家畜と同居している数少ない人種であり、季節ごとの住居に住んでいる。少しはとうもろこしを栽培するが、家畜の飼育を主とし、気候と草木の生育に応じて家畜の群れと共に移動する。

集落はゲイドと呼ばれており、トゲのある低木でつくられた8の字型の茂みに囲われている。その柵の高さは2.6〜3mで、8の字の二つの円の接点にある出入口部分以外はつながっていない。8の字の一方の丸い囲いは住居、他方は家畜用。典型的核家族の住居は、規模が小さく夫用と妻用の2部屋のみ。ときに第三の部屋がつくられるが、ここには羊やヤギ、仔牛などが夜間に収容される。外壁と屋根は木を下地とし、牛糞や泥が塗られる。

ポコトの住居

ケニアのケランガニ−高原の北端にある高地に住む、牧羊民族のポコト族は、大きい円形の建物に住み、それはわずかに弓形をした丸天井で覆われている。比較的大きい住居の内部は二つの部分に分けられており、一方は居間として、もう一方はヤギや仔牛の空間として使われる。


先史および歴史時代にみる季節ごとの住居
中国のパン・プ−村では、アメリカインディアンのホーガンのような、紀元前4000年の季節ごとの住居遺跡が発見されている。入口から泥でつくられた斜路を降りて行くと直径約5mの円形の半地下住居の内部に達する。円形の家のそばでは、構造的によく似た5.5m角の正方形の住居も見つかっている。
ホーガンに似た構造を持つ住居は広く普及している住居タイプで、世界の多くの地方で使われていた。先史時代の遺跡が近東同様、日本でも発見されている。北アメリカでは、インディアンの幾つかの部族は、ナバホ族のホーガンに似た半地下の家に住んでいた。農耕インディアンのマンダン族の土の家もその一つである。マンダン族の住居は、彼等の住む北部平原の厳しい冬に見事に適応していた。

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