ノーバード・ショウナワー、三村浩史監訳
「世界のすまい6000年 1先都市時代の住居」、彰国社、1985年
周期的に移動する住居(Periodic or Regular Temporary Dwellings)
遊牧民が使用する持ち運びできるテントは、居住形態の発展における第三期を示している。これは、周期的または規則的な帰還後とに移動する住居である。遊牧民族は、部族の酋長によって統率される各種の移動集団から成る階層的な社会組織を持っている。部族社会は、原始的な狩猟採集社会から農耕社会へと発展する中間の複雑な文化領域に属している。特に遊牧民族の生活は、広大な半乾燥の牧草地へと適応して形成されている。遊牧社会がより発達すると、定着農耕への依存度の増大が見られるようになるが、必ずそう発展するわけではなく、そうならないこともある。いずれにせよ、農耕は彼らの生存にとって不可欠ではない。彼らが周期的・季節的にどう移住するかは、その領域の地形と気候に左右される。家畜を連れて、冬の間は南の、夏の間は北の牧草地へと何百マイルも移住する集団もあれば、山脈のふもとにある冬の定住地から斜面のより高いところにある夏の牧草地との間のわずか数マイルしか動かない集団もある。人口密度は、ほぼ1人当り50〜244haに相当する。

遊牧民族は、生活のほとんどを戸外で過ごすので、住居のあり方よりも、適した衣服の方が生存のためにより重要となる。持ち運びできるテントは、その性質からして戸内と戸外との境界線を恒久的な建物ほど強調しない。天候が良ければ、主婦たちは家事仕事の多くを天空の下でこなす。遊牧民族は住居の軽い造りに慣れているので、強固な建物に不快感を覚え、閉所恐怖症に苦しむことさえある。さらに多層建物への侵入を恐れる。テント生活の遊牧民からのたびたびの侵入にさらされた定住農民は、遊牧民族のこのような性質を利用し、塔状の石造住居等、住居の形態を工夫してきた。

遊牧民の住居は、大体において木の枠組みにフェルトや皮膜を張った持ち運び用テントである。材料は軽量なので、移動が容易である。周期的住居は、大陸性のステップや砂漠に固有のものである。ドーム形の骨組と薄い皮膜でできた構造物は、強い耐力をもつ。軽量の材料は熱容量が小さいため、冬は火を燃やせばすぐに暖まり、暑い日の続く夏には、心地よい日陰と風通しが得られる。

ステップは、冬の寒さが激しく、強風が吹き、太陽熱は取るに足りない。夏は温暖な日が続くが、夜は寒い。一方、砂漠では季節的な変化が全くない。降水も少量だし、湿度は低く、太陽の放射は激しい。その結果、日中は暑く夜間は寒くなる。それにもかかわらず、大陸性のステップと砂漠の気候に対する建築上の反応は似通っている。これは、建物が持ち運び可能である必要があるからである。この条件は建物の大きさを制約し、たいていの周期的な住居の面積は比較的狭い。そして空間は住居の基本的な要求に従って注意深く設計されている


モンゴルとキルギスのパオ

アジアの肥沃なステップに住む遊牧民が用いるパオ(yurt)には、2種類の形がある。モンゴルやカルマックのパオは、屋根を円錐形に保つまっすぐな柱を持っている。キルギスやトルキスタンのパオは曲った垂木棒で屋根をドーム状にしている。

パオは厳しい気候、特にステップの強い風から居住者を保護する。パオは直径3〜6mの円形のプランをもち、壁の高さは1.2mである。壁体はヤナギの枝を格子に組み合わせたカナで、軽量かつ折り畳みが可能である。4〜8個のカナと扉枠とが結び合わされて屋根を支える円形の壁となる。この壁の上端に中心に向って伸びる垂木棒が結び合わされ、さらに中心部で直径1.2mの木製の輪につながっている。頂上にあるこの圧縮リングは煙突の役目もする。壁を外向きに押す力は壁の上端を締め付ける帯によって相殺される。風圧は、その形状からしてパオを一層しっかりと地面に定着させるようにはたらく。場合によっては、建物の安定を良くするために、ロープで結んだ重し石を中央の木のリングから吊り下げることもある。

パオの骨組全体に、重いフェルトの大きな布がかぶせられて結び付けられる。空気層をつくるために二重三重に重ねることもある。

入口は常風方向を避けて南あるいは南西に向いており、模様で飾られたフェルト製のカーテンがかかっている。このカーテンは壁のパネルと同様に巻き上げることができ、換気に役立つ。カーテンはまた室内にも吊り下げられ、部屋を区画することができる。これらのパオを組み立てたりたたんだりするのは女性の仕事である。

パオの内部は東半分が女性の空間であり、西半分は男性と客が使う。壁に沿って収納と貯蔵用の箱や袋およびまいた寝床やカーペットが置かれている。

中央には炉がつくられており、ヤクやラクダのふんを乾かした燃料が燃やされる。煙は中央の穴から外に抜ける。煙穴は必要なときにはフェルトをひもで引っ張って塞ぐことができる。さらに頭上の穴は時計の働きもする。パオはいつでも同じ方向を向いているので、穴を通って差してくる太陽光線が室内のどこを照らすかで時刻を知ることができるからである。
パオの骨組は軽量だが、外を覆う材料は扱いにくくかなり重い。しかし家畜(ラクダ、馬、ヤク)を用いれば、日用品、雑貨、個人の持ち物だけでなくパオまでも運ぶことができる。

馬はステップの遊牧民にとってステイタス・シンボルであるが、生存のためには、ミルク、肉そして毛糸まで提供してくれる羊やヤギを飼うことがもっと大事である。家畜が牧草を食べ尽くすのを防ぎ、1か所に留まれる期間を長くするため、1年の大半はほんの数家族で過ごすが、冬になると大集団となって安全な区域に集合し、アウルと呼ばれる円形のテント集落をつくって春を待つ。

エール・トアレグのテント

エ−ル・トアレグ族によって造られた、掘建小屋のようなテントも、周期性の住居の例である。これらの遊牧民は、サハラ砂漠外縁のニジェールの乾燥平原に住んでいる。O.ラティモアが述べた「純粋な遊牧民は、貧しい遊牧民である」という言葉は、彼らの状態を的確に表現している。面白いことに、エール・トアレグでは女ではなく男がベールをかぶっている。

エール・トアレグのテントは、1ダ−ス前後の細い棒と、アカシアやヤシの葉のついた茎を曲げてドーム状の骨組のような形に編んだラスからできている。典型的なテントは、細長い棒を縛って造った3本の木製アーチを持っている。

トアレグのテント
写真1/写真2


ベドゥインの黒いテント

ベドゥイン族は西アジアおよび北アフリカの過酷な砂漠の遊牧民で、周期的に持ち運びできる黒いテントの住居で暮らしている。もともと「ベドゥイン」という言葉は、「テントに住む人」を意味するのである。これらの遊牧民はラクダを飼育し、家畜と共にアラビアやサハラの果てしない砂漠の厳しい環境の中で移動生活を送る。夏の真最中にあって牧草が乏しいときには、収穫済みの畑の刈り株が得られる農場や町の近くに野営しなくてはならない。また、金属道具類、武器、衣類そして履物などの入手のため、彼らは町にかなり依存して生活している。

典型的なベドゥイン族のテントは、垂直の柱で支持され、ヤギの毛の生地で織られて、ひもで補強された粗末な黒布で覆われている。ベデゥイン族は彼らの黒いテントを「毛の家」と呼んでいる。テントの長さは平均6〜9mで、奥行はほとんどが3m以内だが、族長のテントは21mの長さに達することもある。

ベドゥイン族のテントは、張力主体構造であるため、その支持枠としてほとんど木材を使用しない。モンゴルのパオの骨組が幕がなくても安定しているのに対し、黒いテントの柱は引張る幕がなければ不安定なままである。柱は単に幕の重量を支える圧縮材なので、幕を支持するロープがなければ、テントの形を保ち、風に耐えることはできない。

黒いテントの屋根線は風や砂嵐に対する抵抗力が少ないように非常に平坦である。テントの正面は北風からの防御が十分な場合にはメッカの方角か南の方角に向けられる。テントを訪れる者は、このテントの正面から接近する必要がある。テント内部での女たちの場所は、男たちより広いことが多く、家族すべての作業場かつ生活の場となる。男たちの場所は、絨毯が敷かれ客の場所になっている。テントの中にあるものは調理道具、鞍袋、水入れの皮袋、小麦袋、端綱、鉢、武器などのわずかなものに限られる。

黒いテントは、北緯30度から35度の地帯に特有のものである。晴れた空と強烈な日射とで特徴付けられる地域に、黒いテントは影をおとす。木材が乏しいこの地域にあって、その構造にほとんど木材を使用しないところの黒いテントは驚くべき適合性を示す。降水量の少なくない地域では、この住まいは決して合理的とは言えない。というのは、テントの防水性が不十分で、水を含んでしまうと重くて移動しにくいものとなってしまう。

チベットとアフガニスタンを除くと、この黒いテントの分布はラクダの分布と一致している。ベドゥイン族以外に、北アフリカのベルベル族とアルジュクァ族、アジアのクルド族、バルチック族、アフガン族およびチベット族などの遊牧民たちも黒いテントの移動住居を用いている。黒いテントの基本的デザインは同じではあるが、その細部は部族によって様々である。
例えば、ベドゥインの部族の中でも特に支柱の固定方法には幾つかの手法が見られる。部族が異なれば、さが更に大きくなるのは当然だろう。このように、構成原理は同じだが、細部には特有な点のある各種の黒いテントは、
引張構造の貴重な類型学の対象となると考えられる。→参考図


周期的に移動する住居

テントのような持ち運びできるシェルターは考古学研究のための痕跡を残さないものである。それでも持ち運びできる住居が先史時代に使われていたことは確かである。聖書の時代には黒いテントが一般に用いられており、特に羊を飼う遊牧民ではそうであった。アブラハムハ、カルデア(バビロニア南部の古地名)の都市国家ウルに生まれて、「西はベゼル、そして東はハイにむけて」テントを張るという純粋の遊牧民の生活を送っている。

ユーラシアの草原地帯を放牧する騎馬民族の住居と生活様式は、時を経ているにも関わらず、先祖である古代騎馬民族の時代とほとんど変わっていない。

紀元前5世紀に古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは、スキタイ人とその遊牧生活について記している。彼の報告は、後の196年、モンゴルの騎馬民族によって誘拐された中国の教養ある女性、山西省出身のウェン・チ−夫人のフン族に関する記述と大体において一致している。彼女の物語を描いた絹の巻物には、幾つかのパオが見られる。

千数百年後の19世紀後半に、ウクライナの写真家S.M.ドゥディンは、カザフの生活様式を記録している。カザフとはトルコ語で「草原の馬乗り」という意味である。カザフ人のパオの外観はスパルタ風の質素な感じだが、一歩その内部へ入ると、「織物のカーペットや敷物、腰掛け、フェルトのマットで覆われていない面は1インチもないくらいで、どのフェルトも花や動物、鳥のデザインや唐草模様(アラベスク)の刺繍やアップリケがふんだんに施されていた」。

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