四条京町家
うなぎの寝床タイプの典型的京町家。
取材した日
2003年10月
建物ができた日
明治43年6月
住所/HP
京都市下京区四条通西洞院東入郭巨山町11
設計
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「この家は、明治43年に鋼材卸商の隠居所として建てられた。隠居所とはいえ、通りに面して「見世の間」と呼ばれる商用スペースをもつ、典型的な「表屋造り」。通り庭に沿って玄関、台所、奥の間が縦一列に続き、奥には蔵がある。」(平面図、「」内解説は四条京町家パンフレットより引用、抜粋)
冒頭写真左側の赤いのれんをくぐって、見世庭見世の間(下写真)に入る。見世庭の奥に向って右側には、ベンチ状の棚があり、腰掛けたり荷物を置いたりすることができる。
店の間から出格子(平面図2)を透かして通りを見る。覗き込むような行為を物理的にも心理的にもやりにくくする、駒寄せ(平面図?)の働きとも相まって、殆ど完璧に外からの視線は遮ぎられている。出格子にはポストも組み込まれている。
見世の間には二階の厨子(つし=屋根裏部屋)へと上る階段(平面図3)がある。厨子は、現在事務所として使用されている。
壺庭玄関の間
見世庭奥の引戸を潜ると、再び屋外の壺庭(平面図4)に出る。屋外とは言ってもの屋根がないというだけで、いわゆる屋外とは感覚が。一見の客が入れる見世の間エリアとは異なり、こちらより先に入ることが許されるのは、限られた客のみである。

壺庭から空を見上げる。もともと小さなスペースであることに加え、四方から高さの違う軒が出ているので、空の面積はより小さくなる。土間に雨が通過するトップライトがあるといった趣。

そもそも外部だった部分が、軒などのために外との接点を減らして行く(内部化の度合いを増して行く外部。すなわち、うなぎの寝床タイプの京町家における壺庭は、昨今の住宅ー例えばコの字形あるいはロの字形プランの住宅などーに見られる、家の中に外部空間をはめ込もうという発想から生じたものとはそもそも異なるのではないか? ) もし内部化の段階が更に進めばどうなるのか。どうなる可能性があるのか。現実の町家は博物館入りが確実な状況ゆえ、この先はなさそうではあるが、あるもの(状態)が別のもの(状態)へと変化して行く中間的な段階のようにも思えて興味深い。この場合とは逆のプロセス、例えば、古代ローマの都市住居で、排煙口が改造(拡張)されてアトリウムと呼ばれる小さな庭が生じたといった、外部との接点が広がってゆくプロセスも想起される(外部化の度合いを増して行く内部)。
通り庭台所奥の間エリア。通路、家事、荷捌き、客の応対など、多目的に利用される通り庭。カマド、流し、井戸(盆地である京都は地下水位が浅い)、食器棚などがある。吹き抜けになっており、高い位置からの採光がある。煙突はなくカマドの煙は小屋裏をいぶしつつ天窓から抜ける。
調理や農作業、家事など様々に利用される農家の土間が、京都独特の敷地形状のなかでこのような形になったのではないかとも思われた。
平面図5:井戸、6:流し、7:水屋(食器棚)、8:おくどさん(調理場)9:階段、10:仏壇
台所から奥の間通り庭を見る。

「『家の作りは夏をむねとすべし』の言葉どおり、京の町家には、厳しい夏の暑さを和らげる智慧がつまっています。まず通り庭は風が吹き抜ける通り道。庇を深く屋根を低くして日差しを避け、表を格子戸にするのも、風の通りを良くする工夫です。6月ともなれば、襖や障子を取り払い、簾や簾戸に替え、畳には籐の網代を敷いて、夏支度。通りや通り庭に打ち水をし、小さいながらも風流な前栽に目をやれば、木々の緑が目に涼しさを運びます。」(四条京町家パンフレットより)

通り庭の取り敢えずの突き当りを、奥の間方向に曲って前栽(センザイ=中庭)に出る。
前栽には祠(平面図11)や井戸(平面図12)もある。
前栽から奥の間を見る。
奥の間の向かいにはがある。
通り庭突き当たりの引戸を開けると、更に奥へと土間は続いており、トイレや風呂場などとなっている。中庭(前菜)を囲むのではなく背を向けているため、庭の雰囲気は守られている。五右衛門風呂の水は前栽の井戸から汲み、湯沸しは前栽側の炊き口から薪をくべて行う。
右上写真は通路の最も奥(風呂場前)から街路の方を見たところ。さて、ここでは、今まさに外部空間の内部化が起っているようで、既存の軒にごく最近付け加えられた新たな屋根がプラスされている。こうして個性はあるが名前はまだない新しい内部空間が発生する。これは只の廊下ではない。廊下にトップライトを付けるという発想から生じたものではないからだ。
台所の階段(平面図9)を上がって二階へ上る。
上り切って、前栽方向を見る(上写真)。
前栽側から街路側を見る(下写真)。
平面図14:「鍾馗(しょうき)さん。魔除けの神様。入口上の庇のところに瓦製の鍾馗さんが祀られている。」

平面図15:虫籠窓(むしこまど)

座敷から前栽を見下ろす。

かつての倉庫(冒頭写真「町家工房」ののれん側)部分は、店鋪や喫茶スペースに改装されています。

こちらは長家タイプとは異なる、かなり大きな敷地に建つ町家。内部はほとんど新築かと見紛うばかりに改装されており、町家を残すということの意義とそのやり方、つまるところ残すべき町家の本質とはなんであるのかということについて考えさせられる。
壁を接していた一方の町家が建て替えを行うと、残された方の壁は仕上を剥がされた状態になるが、この壁が綺麗に補修されることはまず無いようである。近い将来に建て替えるということなのか、トタンなどで応急処置的に凌いでいるのがほとんどである。
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