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屋外活動と建築の動向
ヨーロッパには、過去1000年間のほとんどすべての時代の都市が、ほぼ完全な姿で残っている。中世の都市は、自然に発達したものも計画されたものも、たくさん残っている。ルネサンスとバロックの都市、産業革命期の都市、ロマン主義の影響を受けた田園都市、更には、過去50年の間につくられた機能主義的な自動車中心の都市が各地にある。これらの都市は現実に使用されているので、我々はその都市構成を共通の基準に照らして比較し、評価することができる。 これらの都市は、美術史的観点から言えば、表面上多くの相違が見られるが、都市計画思想と屋外活動の面から言えば、注目すべき変化は二回しか起こっていない。ひとつはルネサンス、もうひとつは近代の機能主義運動がもたらした変化である。 中世−物的、社会的側面 専門家が製図板の上や模型で都市を設計し、それを元に建設を行なうといった都市計画はルネサンス期にはじまった。 中世までに成立した都市には、後期に計画的につくられた少数の植民都市を除いて、本当の意味での計画は存在していない。 中世までの都市は、必要の生じたところに発生し、都市建設のプロセスのなかで住民の手でかたちがつくられていった。しばしば幾百年にもわたって発展し、その変化の緩やかさ故に、物的環境を都市機能に合わせて絶えず調整し順応させることが出来ていた。 都市はそれ自体が目的ではなく、利用に応じて形作られる道具であった。 ↓ こうして多くの経験の積み重ねの上に形成された都市空間は、現在でも、建物の間のアクティビティに極めて好都合な条件を提供している。 ルネサンス−視覚的側面 ルネサンス期には、計画を専門の職業にする人々が現れ、望ましい都市の姿について理論と理念を展開した。 都市は単なる道具ではなく、総合的に構想され、認識され、実現される芸術作品の性格を強く持つようになった。建物の間の領域とそこに含まれる機能は、もはや主要な関心事ではなく、空間の効果、建物そのもの、そしてそれを設計した芸術家の方が、上位に置かれるようになった。 ↓ 都市計画の視覚的側面がはっきりと意識されるようになり、その文脈に基づく美学が確立され、それは、その後数世紀にわたり、建築がこれらの問題を扱う際の強固な基礎となった。 機能主義−生理的、機能的側面 計画の基礎は、機能主義の名の下に、1930年頃に二度目の重要な展開を迎えた。この時期に、都市と建築の物的な機能面が、美学から独立し、それを補足する計画基準として発達した。 機能主義の基礎は、主として、19世紀と20世紀の最初の数十年間に発達した医学知識であった。この新しい医学知識が、1930年前後に、健康で生理学的に望ましい建築の評価基準が確立された際にその背景になった。 ↓ ・住宅にはオープンスペースが与えられなければならない。 ・街路に向けてではなく、独立した建物を太陽に向けて建てるべきである。 ・住む場所と働く場所を分離すべきである。 ↓ 人々に健康な居住条件を保証し、物的な恩恵をもっと公平に分配するために、これらの要請が明確に打ち出された。 消滅した街路 機能主義者は、建築デザインが持つ心理的、社会的側面については無関心であった。機能主義思想の最も著しい影響は、新しい住宅団地と新しい街から、街路と広場を消滅させたことである。 人間が集落や都市をつくるようになって以来、街路と広場は、人々が集まりで合う生活の焦点を成してきた。しかし、機能主義が出現し、街路と広場をまったく無用なものと断定し、その代わりに、道路、通路、どこまでも続く芝生が登場した。 「近代後期」の計画基盤 単純化すると、1930年から1980年代までに建設された都市と住宅地を支えていた思想は、ルネサンス期に確立され、その後数世紀にわたって洗練された美学と、機能主義が計画の生理学的側面に関して唱えた教義であった。 ↓ 規制や建築法規に組み込まれ、過去数十年にわたり、建築家と計画化の主な仕事の基礎となった。 美学と機能主義がつくり出した新しい都市は、それまでの暗く過密で不健康な労働者住宅に比べて、、明らかに多くの長所を持っていた。 ↓ 機能主義者は、古い都市の「ロマン主義的な感傷」をくり返し攻撃。 建物が屋外活動(=社会的可能性)に与える影響は認識されていなかった。 機能主義者は、貴重な社会活動を衰退させたり排除しようと思っていたわけではない。建物の間に広い芝生を作れば、多くのレクリエーション活動と豊かな社会生活が行なわれるに違いないと考えられていた。完成予想図には、そこで活動するたくさんの人が描かれていた。(このような見通しに疑問を投げかける動きは現れず) 機能主義の計画と建物の間のアクティビティ 人、出来事、機能を隔てる大きな距離。 日光と空気を確保する上では有効な、まばらに散在した住宅は、人と出来事を著しく分散させる結果を招いた。 住宅、工場、公共建築などの機能分離は、生理学的問題を緩和したかも知れないが、一方で親密なふれあいの可能性を減少させた。 自動車中心の交通体系が追い討ちをかけ、団地計画の機械的な空間デザインが屋外活動に重大な影響を及ぼした。 一戸建ての住宅地−建物のまわりにだけアクティビティがある 自動車利用の増加に伴う、郊外型低層住宅地の開発。 ・庭という私的な屋外活動に適した条件を持つ。 ・しかし、街路のデザインが適切でなく、自動車交通が主役となり、そしてなにより人と出来事が広く分散しているので、共同の屋外活動は必要最小限。 ↓ マスメディアとショッピングセンターが外界との唯一の接点 (建物の間からアクティビティが閉め出されている) ヲ計画家達は、まばらに広がる郊外住宅地と多くの「都市」再開発地区で、無意識のうちに建物の間のアクティビティを衰退させてきた。 建物の間のアクティビティ−現在の社会状況 近年の動向 家族形態の変化−家族規模が小さくなった。 →家の手近なところに、ふれあいの機会を求める需要が増えつつある。 人口構成の変化−老人人口の増加 →余暇時間をたっぷり持った彼らが、都市空間を最も良く利用している。 余暇の増加−より多くの時間を手にした人々が、職場とは異なる機会を求める。 メ 住宅地と街、そして地区センターから中央広場までの各種の公共空間は、これらの新しい需要を満足させる舞台になれるはずである。 コペンハーゲンの例 1962年から改造を開始。以来、歩行者街路は増加の一途を辿っている。 都市のアクティビティは、広がり、創造性、洗練どの点で、年ごとに成長。 色々な民俗芸能祭と大規模で人気の高いカーニバルが行なわれるようになった。 (以前は誰もスカンジナビアでそのような行事ができるとは考えなかった) |
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