J.ゲール、北原理雄訳『屋外空間の生活とデザイン』
第一部、 建物の間のアクティビティ
屋外活動

屋外活動には、必要活動任意活動、そのふたつの総合であるところの合成活動という、三つの形態がある。

任意活動屋外の条件が良く、天候と場所が相応しいときにだけ行なわれる
     
屋外の物的条件に大きく左右されるため、建築の物的な計画の面で     
     特に重要である。

屋外空間の質が貧しいときには、必要活動しかおこらない。質の悪い街路と都市空間では、ごくわずかな最低限の活動しかおこらない。人々は家路を急ぐ。優れた環境の下では、それとはまったく異なり、人々の幅広い活動が可能になる。

社会活動(=合成活動)は、人々が動き回り、同じ場所に居ることの直接の結果として、自然に生まれてくる。これは、公共空間で必要活動と任意活動によりよい条件が与えられれば、それによって社会活動が間接的にもり立てられることを意味する。

建物の間のアクティビティは、気楽にくつろいで他人と一緒にいる機会を提供してくれる。そこでは、私達は、必ずしも特定の人と一緒にいるわけではないが、それでも他の人々と一緒にいる。テレビなどで他人の体験を受け身に観察するのとは違い、公共空間では本人がそこにおり、控えめだが、確かにはっきりと参加している。

かような
低い濃度のふれあいは、そこから他の形態のふれあいが育っていく苗床のような状態である。言葉を交わす、ベンチの隣に座った人と短い議論を交わす、質問をするなど、そして、参加者が望めば、この単純な段階から次の段階のふれあいを育てることができる。同じ場所に居ることは、これらのどの場合にも第一の前提条件となる。

他の人々を体験することは、この上なく彩り豊かで魅力的な刺激の機会である。建物や他の無生物を体験するのに比べて、はるかに幅広く感覚に訴えるものをもっている。

人々が互いに交流することができる
生き生きとした都市は、生気のない都市と違い、体験の機会に恵まれているので、いつも豊かな刺激を与えてくれる。生気のない都市は、建物の色彩やかたちをどれほど変化のあるものにしても、体験を豊かにするのが難しく、退屈になるのを避けることができない。
現在では、色々な場所で芝居がかった建築効果を使い、建物を「面白く」かつ豪華にしようとする努力が払われている。しかし、街や住宅地を適切に計画し、建物の間のアクティビティに好ましい条件を与えることができれば、このようにたいていは高価で、大袈裟で不自然なことが多い試みを使わないで済む。
建物の間のアクティビティは、長い目で見れば、色を塗ったコンクリートと複雑な建築形態のどのような組み合わせよりも、観察する価値のある興味深いものである。

活動と遊びの習性

子供は、概して、最も多くの活動が行なわれている場所、または何かが起こる見込みがもっとも大きな場所に留まり、そこで遊んでいる。スカンジナビアには、「
人は人のいるところに集まる」という古い格言がある。
一戸建ての住宅地でも集合住宅でも、子供は特別に計画された遊び場よりも、街路、駐車場、玄関のそばなどで遊ぶことが多い。計画された遊び場は、一戸建て住宅の裏庭や高層住棟の南側に置かれていることが多く、そこからは人も車も見ることができない。


ベンチ

ベンチについても、子供の遊び場と同じことが言える。
周りの活動が良く見えるベンチの方が、そうでないベンチより良く使われている。コペンハーゲンの公園でもっともよく利用されているのは中央園路沿いのベンチである。静かな一角に置かれたベンチは、ほとんど利用されていない。背中合わせに置かれたベンチでは、園路の方を向いているベンチに人が集まり、もう一方の「そっぽ」を向いたベンチは利用されにくい。都心部でも、よく利用されるのは往来の激しい歩道が見えるベンチであり、公園の植え込みに面したベンチは、それに比べて利用が少ない。世界中どこでも、街頭のカフェの椅子は街路に面して置かれている

→街が騒がしすぎる場合(渋谷や新宿のように)には、その限りではないのではないだろうか。
人々は人間とその活動に注意を払っている、それは確かにその通りだが、刺激が過剰すぎると鬱陶しく感じるか不感症になるのが我々の常である。


歩行者街路の魅力
(コペンハーゲンの都心の幹線歩行者街路、ストロイエ通りの魅力分析)
路上で行なわれている様々な
人間活動に、最も多くの関心が集まっていた。画家が絵を描いていると、周りに人垣が出来た。しかし、彼が立ち去ると、人々は平気で彼の絵を踏みつけて歩き過ぎた。レコード店のスピーカーから鳴り響く音楽には、まったく反応を示さなかったが、生身の音楽が演奏をはじめると、生き生きとした関心をもった聴衆が即座に集まった。
地区内のデパート拡張工事では、ふたつの出入り口から工事現場を覗くことが出来た。工事を見る為に足を止めた人の数はデパートのショーウィンドーの前に立ち止まる人の総数を上回っていた。工事現場の昼休みや退出時間後、現場に人がいなくなると、足を止める通行人がほとんどいなくなったことから、人々の関心が工事現場そのものではなく、そこで働いている人々と彼らの作業であったことが分かる。
人々は、人間とその活動に注意を払っている

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