ノーバード・ショウナワー、三村浩史監訳
「世界のすまい6000年 3西洋の都市住居」、彰国社、1985年
むすび
西洋の都市住居は街路との関係を重視し、外部を志向した形態を有しており、東洋の都市住居ー古代のも現代のも含むーと好対照をなしている。西洋の住居では、居住者のプライバシーが東洋のものほどは守られていない。

西洋の住居では主だった部屋は街路に沿って並んでいるので、窓からの景観が強調され、遠景が重要となる。一方、東洋の都市住居は囲い込まれたプライベートな中庭を向くように造られているので、近景に重点が置かれる。このような方向性の差は、西洋の都市に見られる広い並木道や街路と東洋の都市の狭い街路や路地という大きな違いを生み出した一つの要因でもあろう。両者の生活の差を最も良く示すものが、ジョージ王朝時代に造られたスクエアを囲む住宅地であろう。スクエアの住居は、周りの居住者が利用する半公共的な広場に面しており、広場でのレクリエーションは公衆の面前で行なわれた。他方、東洋の住居は公衆の視線には触れない狭く閉じられた中庭に面している。

西洋の都市住居で街路との関係が重視されている結果、街路に面した建物のファサードが強調されることとなるが、これは東洋の都市住居には見られない特徴である。

西洋の住居が外観を重視していることが住居と商業機能との分離の一因となっているというのは、もっともらしい仮説である。というのは、内側を重視した中庭式住宅が普及しているところでは、都市の土地利用は純化していないからである。居住地がさらに収入の異なる社会階層のグループに細分されている点も、西洋の都市にしかない特徴である。この分離も西洋の都市住宅に本来備わっている特性のためだとする説もあるが、中世都市では各種の階層が混合して住んでいた点から考え、あまり信用できない。事実、西洋の都市は産業革命を経験する間に変化した。工場の近くに労働者のための住宅が大量に建設されたため、変化のない均一な居住地区が形成されざるをえなかった。もちろん、工業都市の労働者住宅街の均一さは、中世都市になめし皮業者などの職人だけが集住する地区があったことと社会的には同等だろう。しかし両者の規模は全く異なるものである。中世都市では職人町は町のごく一部を占めるだけだったので他の人々とコミュニティ施設を共有していたが、大規模に広がった労働者地区は独自のコミュニティ施設を有するまでに成長したのである。

産業革命に端を発する都市の驚くべき成長は都市の生活を悪化させた。中世では都市生活は自由の象徴であったのに、19世紀末には、その居住者の大部分にとってはみじめさを意味するものへと変化していた。

19世紀には一方で低密度の一戸建て住宅が、そして他方では高密度の高級アパートや安アパートと、全く異なる居住形態が示された。この両極端のどちらを選ぶかということは、今日でも都市住民や建築家の間で問題とされている。コルビュジェによると、この選択は「低層か高層か」ということに尽き、前者の一戸建住宅に住むことは都市の土地資源を多く浪費することになるので、魅力はあるが疑問が多い。むしろ後者の公園のような用地に高くそびえ、施設も整ったアパートに住む方がより魅力的であり、同時に土地を効率良く利用することにもなる、と述べている。

低密度の居住形態につきまとっている土地の浪費を分析すると、コルビュジェの選択の正しさが分かるだろう。彼は一戸建住宅を「現代の大失敗」だと述べている。だがコルビュジェの述べたように、居住形態の選択肢は二つしかないとは考えにくい。彼が無視した両極端の中間に位置する形態が、現代の多くの建築家によって探究されている。明るくて換気のよい中密度の居住形態こそが、郊外住宅の効率の悪い土地利用と過度のエネルギー消費をやめ、同時に高層住宅の欠点をも避けることができるものであろう。
現時点において都市に存在する郊外住宅と高層アパートの数は、その適切な需要よりもはるかに多く、住宅戸数と需要との関係を再調整する作業は遅れ過ぎている。土地利用の純化を目標とした用途の規制によって生じた現代の非効率な都市の土地利用を、
混合利用を認めるように変えるならば、現代としに不可欠な高価な基盤施設を24時間の間利用することもできる。このように、混合利用は経済的利点を有するものであるが、その最も大きな利点は活気をもたらすことにある。

東洋の文明は、西洋の文明に比べて何千年も古く、試行錯誤の過程を経てゆっくりと形成されたものである。したがって、それは時間をかけて試されたものであり、都市の居住形態として尊重できる。その中にはこれまで6000年にわたって有効性を保ち続けてきたものもあり、西洋の都市環境にも十分適用することができよう。

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