ノーバード・ショウナワー、三村浩史監訳
「世界のすまい6000年 2東洋の都市住居」、彰国社、1985年
むすび
東洋の都市住居はその起原を古代文明にもち、近東やインド、北アフリカおよび極東において都市の住民が200世代以上にわたって守り続けてきた、いわば永遠の居住形態ともいえるものである。

この内側を向いた居住形態には固有の特徴があるが、最も重要な点は中央の私的なオープンスペースである中庭にある。囲まれた中庭は植物や日除けや泉などによって容易に気温や湿度を調整できる。しかも、四角い庭に対して四つの異なる方向から部屋を面させることができるので、各部屋の配置が外的な制約を受けない

さらに中庭住居は、音や視線のプライバシーを道路からだけでなく隣家からも守っている。家族のプライバシーを高めるために、東洋の都市住居は公的な部分と私的な部分とに分けられている。西洋の習慣とは異なり、東洋の住居の家族用スペースは住居の最も広い部分を占めており、公的スペースが家族スペースと同程度の広さをもつ住宅は特に大規模なものに限られている。
西洋の都市住居:他人に覗かれないパティオや庭などをもつことは滅多にない。プライバシーを守る壁がないので入口から内部が直接見通せるし、入口から見えないところも大きな見晴し窓を通して内部の様子が伺える。

内部空間の柔軟性も東洋の都市住居のもつ特徴である。ほとんどの部屋が多目的に使用されており、寝ること、食べることなどの特定の活動のためにのみ使用されることはない。

典型的な東洋の都市住居の外観は単純で質素である。見栄を張ることは嫌われ、住居の高さまでも制限されている。
西洋の住居は外観によって住み手の社会的地位を意識的に誇示する。建物の大きさや高さを抑制することはなく、逆にステイタスシンボルとして用いられ、最大の成功を象徴する。

東洋においては、家屋のデザインにあらわれる感覚は敷地の範囲を超えた周辺環境にも反映されており、居住地の空間は段階的な序列によって構成されている。住居を結ぶ袋小路や路地は半私的な領域であり、地区の共同施設などがある準幹線道路は半公的領域で、近隣単位ごとに設けられた門の外側は都市の公的領域で、大通り、商店街や公共施設などがあった。

東洋の居住区は民族や宗教の教派あるいは職業でまとまった様々な集団関係からなっているが、それは所得階層で形成されているものではなく、金持ちも貧乏人も一緒に住んでいる。
西洋の居住地は経済的に均質。


疑いなく、古代ギリシアとローマの都市住居は東洋の影響によって形づくられたものである。しかし、ローマ帝国の崩壊後数世紀に及ぶ暗黒時代の間に、東洋の遺産は忘れ去られるか無視されてしまった。確かにキリスト教会の修道院や尼僧院では内側を向いた中庭形式が使われ続けていたが、街の建物は通りに向いていた。そして中世の多くの建物にも中庭があったが、それらの機能は東洋の都市住居の中庭とは異なり、単に後庭や家事スペースといった類いのもので、住居の主たる面は通りの側を向いていた。西洋では外側に向いた都市住居が標準的なものとなった。唯一の例外はムーア人の影響を受けた国々である。ムーア人の影響はスペインからラテンアメリカに移植され、住居デザインにおける東洋の遺産は、西洋においてはスペイン、ポルトガル、ラテンアメリカの中庭住居として生き残っている。一方、現代の建築家は中庭の概念を再び見直しつつあり、特にスカンジナビアの国でその傾向が強い。


どこの国も土地の余裕がない現代の世界にとって、東洋の居住形式には、土地利用と省エネルギーの点で見習うべきものがある。言うまでもなく、東洋の都市環境と他の国とを同一視するわけには行かないが、その都市設計の考えには取り入れるべきものがある。

たとえば、段階的な街路のネットワーク構成はより安全な住環境をもたらし、さらに通過交通を遮断する近隣居住区はより親密な地域社会をつくり出す。また、土地利用に無駄のないコンパクトな都市開発形式は、公共施設を歩行範囲に配置することを可能にし、大量輸送機関の維持に適した高い人口密度を生み出す。
また中庭は独立住宅のみでなく、集合住宅の設計にも有効であり、いくらかのプライバシーと「天国の泉」をもたらすものと思われる。

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