大梁、大枡、大束など、いくつかの部材の仕上には、ヤリガンナを用いました。ヤリガンナは平らな面を仕上げる台鉋の登場以前、飛鳥時代に使用されていた古の道具で、長い間忘れられていた刃物です。
木材の自然な形を殺さずに仕上げることができ、柔らかな起伏(手の跡)ができる仕上がりはなんとも言えない優しい表情になります。
ヤリガンナの仕上がりは美しく、なんでもかんでも真直ぐにして木の個性を殺すことがない。こんなに素晴らしい道具が、なぜ使われなくなったのか。おそらくはそうであろうということが、実際にこれを使って作業をしてみて分かったような気がしました。
ヤリガンナでは、作業に慣れても一度に少しずつしか削ることができません。しっかりと握って腰を入れて動かさなければならないので、ものすごく疲れます。気を抜くと(木が求める方向に動かしてやらないと)、すぐにおかしな方向に刃が入っていってしまうので、集中を途切れさせるわけにもいきません。気持ちを入れて根気良く、気の遠くなるほどの回数を削らなければなりません。そしてその間、幾度となく刃を研ぎ直さなければなりません。寺だ神社だと言ったところで、これほどの手間をまかなう建築費がそうそう出るはずがないのです。
これを使って一日中作業をしていると、飛鳥時代の工匠たちが持っていたであろう情熱の一端を垣間見たような気になります。その情熱がなんであるかと言えば、おそらくは宗教的情熱です。ヨーロッパの宗教建築に見られる精緻な石工の仕事を見ても思うことですが、こうした常識はずれに手間のかかる作業が成立し得る背後には、手間をお金で換算しないロジック…信仰を行動で表現したいという衝動のようなものが、きっとあったに違いないと思うのです。

今回使用したヤリガンナは、打刃物で有名な武生(福井県)の鍛冶屋さんに製作して頂きました。

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